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三蔵と悟空と金蝉

三蔵と悟空。
三空サイトを語る上で、ここは外してはいけないんだろうなぁ。
けど、何というか、神聖すぎてうまく語れる気がしませんね。

ちなみに、今回は腐った見方の方ではなくて

「本気で三蔵と悟空を考える」

をテーマに書いております。
で、書きながら思ったよ。
あー、私本当に、この二人、好きだなぁてね。












三蔵と悟空を語る上で、「金蝉」の事を置いては語れない私がいます。
金蝉が命を掛けて守った存在、それが悟空。
たった一人残される悟空の事を、金蝉は考えてなかったのかな。
そんなことないね、きっと。
それでも、生きて欲しいと願った、希望、それが悟空。


まず、三蔵の話。
峰倉先生の「うまいなぁ」と思う部分は、三蔵の埋葬編です。
ここを読むまで、三蔵がいつから悟空の声が聞こえていたのか、実はあんまり分からなかった。
埋葬編で三蔵が覚悟したのは「生きる」という事なんですね。
何故か。
それは、「生きなくては」ならないからなんですね。
死への妄執にとらわれている三蔵じゃ、悟空を救えないからです。
そう思えない三蔵が悟空と出会っても、何の意味もないから。
埋葬編の三蔵は覚悟は決めたものの、まだまだ不安定です。
最遊記においての孤独とは「死に等しい程の退屈」と、良く表現されています。
三蔵は、きっと、これを感じていたんですね。
生きると決めたけれど、「三蔵」という名前はあくまでも、あの頃の三蔵には「称号」でしかなくて、三蔵様と呼ばれた所で「誰だそれ」って気持ちもどこかにあったはず。
でも、「三蔵」として生きてゆかなければならない。
三蔵に希望を託して死んでいった命のために。
若干10代後半の三蔵には、きっと重い重い事だったと思います。
正直、そんな中で、死に逃げず、狂わず、妄執にとらわれずに生き抜く事を決めた三蔵の覚悟の重さは計り知れないし、私が三蔵を好きでたまらない一つの要因です。
そこで現れるのが、悟空。
「三蔵」の名前を、役職でなくたった一人の個人として「三蔵」と、愛をこめて呼ぶ人物。
悟空の呼ぶ「三蔵」は、三蔵本人以外にはおらず、それは確固たる「個人」を象徴する名前になったわけです。
これは、彼にとって、かなりのインパクトになったと思います。

さて。
金蝉に話を戻します。
金蝉の罪は、ひとえに「悟空をひとりぼっちにした」事だと思います。
彼の犯した罪は、きっとそれ一つだけです。
目の前で、大切な人が、自分のために消えていく苦しさ。
悟空に植えつけたその、恐怖。
それを、金蝉はきっと、知らないまま逝ってしまいます。
悟空の苦しみは、金蝉には計り知れないものだと思います。
これが、三蔵の「前世のカルマ」として残ったわけです。
三蔵は、大切な人が、自分のために消えていく苦しさを、知っています。
峰倉先生、本当にうまいよな…と思うのです。
三蔵は、悟空に出会うために知らなくてはならなかったんですね。
「大切な誰かを失う痛み」を。
それを知らない限り、三蔵はきっと、同じ道を歩んでしまうんじゃないかなぁ、金蝉と。
上にも書きましたが、三蔵は「大切な誰かを失う痛み」を知って「生きる」覚悟を決めて、初めて悟空の声が聞こえます。
そこに、意味が、あるのだと思う。
私の中で金蝉の魂は、三蔵が悟空を連れ出したあの日に、やっと昇華されたのだと思っています。
今度の魂は、足りなかった事を知っている、それは、とても大きい。
ここから、やっと「三蔵」だけの人生が始まります。

悟空の話。
悟空に関しては、ここで語る事もないくらい、原作でも分かりやすく描かれていますね。
悟空の500年間、想像を絶する孤独。
呼ぶ名前がない、それは、孤独だ、途方もない孤独。
例え一人ぼっちでも、思い出すように呟ける名前があれば生きていける、それが悟空だと思うのです。
悟空はとても強い心を持っているし、ものすごくプラスに物事を考えていけるパワーがある。
けれど、誰も呼べない。
それは、いかにメンタルが強い人間であろうと、孤独だし、絶望的な死に等しい日々ですね、きっと。
人は「何故」と問いかけられる生き物です。思考があると言う事は、そうゆうこと。
だからこそ苦しい。
何故誰もいないのか、何故ここにいるのか、何故何も分からないのか。
名前を覚えていた、それは、悟空にとって幸福なことであり不幸なことでもあったと思います。
名前があると言う事は、自己を認識できるということで、自己を認識すると言う事は、孤独を認識することもできると言う事だから。
悟空に過去に植えつけられたものは「大切な人がいなくなってしまう」恐怖で、それは記憶がなくても心の奥でずっと生き続けています。
だから、三蔵は悟空を救うために、確固たる「生きる意志」を持った三蔵でなくてはならなかったんですね。

「名前」
三蔵と悟空にとって、このキーワードは結構重要なものだと思っています。
「名前を呼べる人」「名前を呼んでくれる人」
それは同時に
「お前はここにいる」「俺はここにいる」
と、強烈に刻みつけてくれる事に他ならないからです。
自己を確立する手段、それが名前だし、他者を認識する手段、それも名前なんですね。
何も持たなかった二人が、名前を呼ばれる、名前を呼ぶ、それによって強烈にお互いを意識して、その存在を刻みあった。
それは、お互いに救いだったはず。
連れ出された悟空が、三蔵に救われたようにずっと思っていたけれど、埋葬編によってその意識が覆されました。
あぁ、三蔵も、悟空に救われていたんだな、この瞬間にって。


その後の二人は言わずもながです。
「血よりも濃いもの」が二人の間には存在する。

これって、八戒と悟浄にも言える事なんですが。。
人間って、お世話される側もそれによって居場所を与えられているんですけど、お世話する側もね、それによって居場所を与えられているんだよね。
おせっかいを焼くって、素敵な事なんですね。
構ってやれる、庇護してやれる、何かしてあげられる存在がいると言うのは、それだけで生きる糧になりうるわけです。
そして、そうやって「与えている側」の方が、実は依存に陥りやすい。
与えられている側よりも、気持ち的に強い事が多い。
なので、三蔵がマラソンしちゃったのもしょうがないんですよね…
求められる側は、求められなくなった瞬間に居場所を失ってしまう可能性があるし、与えることによって何かを得ているから、割と無自覚な事も多い。
求める側は、自覚ありきで求めている事が多いからね。
求める側は、自分が求めるのをやめる事ができるけれど、求められる側が、与えるのをやめるのは結構難しいのです。
そういう意味で、三蔵の依存度が高くなるのもうなずけるんですよね…
まぁ、それでも、悟空は餌付けされた猿なので、よっぽどの事がない限りは三蔵から離れないとは思うんだけど、うーん、大人になってきてるからな。
三蔵も、そろそろちょっと大人にならんといかんな、お互いのために、とか思ったりもする。


さて、最後に。


三蔵はきっと、輪廻転生何だそれ、俺は俺だろ、前世?んなもん知るかって思うんだと思うの。
それで良いと思う。
ただ一つ願うのは。
できれば次に、三蔵が悟空より先に逝ってしまうとしたら、どうか悟空にきちんと「埋葬」と「お別れ」をさせてあげて欲しいのです。
どうか、悟空のために死んでいかないで欲しいのです。
「大切な誰かを失う痛み」を、悟空にはもう、与えないでほしい。
三蔵は、三蔵の生を全うしてほしい。
いつか過去を思い出した悟空が願うとしたらきっと「自分のために逝かないで」ということだと、私は思うんです。
悟空はきっと、三蔵や、みんなの思い出とともに生きていけると思うから。
だから、三蔵は、三蔵のためだけに、生きて欲しい。

そして、悟空には、やっぱり生きていて欲しい。
金蝉の時は、庇護され守られてきたあなただから、次はあなたが三蔵を救ってやってほしい。
できれば、三蔵があなたのために、あなたに引き金を引く事がないように。
きっと、金蝉と違って、三蔵は悟空のためだけに引き金を引いてくれると思うんだ。
「大切な人を失う痛み」を知っている三蔵だからこそ、悟空がその痛みを背負わないように、悟空が大切な人を殺めてしまわないように、迷いなくその引き金をひくと思うんだ。
でもね、そうすると、三蔵はもう一度味わう事になる。
「大切な人を失う痛み」を。
悟空は誰より、誰より知っているはずだからね、だから、どうか、その痛みから三蔵を救ってやってほしい。
そしてやっぱり、三蔵のために死んだりしないでね。
悟空に出会うための痛みから、悟空が救い出してあげて欲しい。
三蔵が、金蝉が、生かし続けた大切な命。
大切に大切に、生きてね。


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