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今年の春に買ったその花は、薄い青紫花が咲くのだと言う。
たくさん咲くと綺麗だからと、君が言うので、プランターに植えてみた。
時折君のの指がそれをつつくのを見て、僕はただ、幸せで。
「いつか咲く所が見たいな」
そう言って笑った君を、僕は忘れない。
朝起きるとまずする事は、台所の掃除だ。シンクに置かれた食器に、八戒は目を細めた。
最近良く見るようになった光景だ。
「早いな八戒」
「おはよう、悟浄」
珍しく朝起きてきた悟浄に軽く挨拶をすると、八戒はやかんにお湯を沸かし始める。
シンクの片づけは後回し。
「ブラックでいいですか?」
「んー、サンキュー」
ドリップコーヒーの封を開け、カップにセットする頃には、やかんからヒューヒューとにぎやかな音が鳴る。
静かに注いでいくと、香ばしい香りが広がった、
良い朝の香りだ。
「はい、どうぞ。朝ごはん、何か食べます?」
「んー内容による」
「今日は炊き立てご飯とお味噌汁と、たまご焼きです」
「いいねぇ。疲れた胃に優しい感じ。」
「飲みすぎじゃありません?最近。…用意しますね、ちょっと待っててください」
「へーい」
悟浄の朝の一服の間に、八戒は朝餉の準備をする、
米は昨日の夜セットしておいたし、完璧だ。
味噌汁の具は…油揚げがあったな…あとはわかめで良いか。
あ、たまご焼き…
「悟浄」
「なーにー?」
「たまご焼き、甘めとしょっぱめどっちがいいですか?」
「んなもん、どっちでもいいけど、しいて言うなら出汁巻き」
「注文が多いですね。了解」
カチカチと卵を切る音の後、フライパンに一気に流されたたまごのじゅーっという音。
食べ物は焦げる匂いは、悟空でなくても食欲をそそるものだ。
「さぁ。たべましょう。」
「「いただきます」」
「お、たまご焼きうめ」
「あ、良かったです」
「そういや、昨日の煮物もうまかったぜ?あーゆうのを、おふくろの味っていうのかねぇ」
「さぁ…僕も生憎おふくろとか縁がなくて」
「そうだったな。まぁ、俺にとってのおふくろの味はこれだな」
「ありがとうございます」
相変わらず夕飯を共にすることは少ないが、最近は朝になると、食事が終わった食器がシンクに置かれている事が多くなった。
夜中に帰宅した悟浄のために、量は少なめ、飲みすぎの胃に優しいものをと、あまりこってりとしたものは作らないようにしている。
せっかく作ったものを、食べてもらえないのは悲しい。
同時に、作ったものを、食べてもらえるのは、とても嬉しい。
悟浄という人は、ちゃらんぽらんに見えて、意外と律義な男だった。
毎回ではないが、たまにこうやって「昨日のあれがうまかった」だとか「あれの味付けがどうの」と感想を述べてくるのだ。
感想を言われるのは、気恥ずかしいれど、やっぱり、嬉しい。
「あ」
「何よ」
「今日、夕飯どうします?」
「何で?…あぁ、生臭ボーズと猿が来るんだっけか」
朝食の片付けをしながら、泡だらけの手で振り向く。
うんざり、といった調子で肩を落とし、煙草に火をつける悟浄に、八戒は笑う。
何だかんだ言って、二人の事をそれなりに歓迎しているのだ。
「買い出し、付き合ってくれますよね?」
「へいへい、分かってますって」
ほら、やっぱりそうだ。
普段は朝起きても来ない癖に、こんな時にはちゃんと起きてくる。
分かっていて起きてきて、素知らぬ顔で「仕方ないな」という、そうゆう男だ。
猿が来るんじゃなぁ…と呟いた顔が、ほんの少し笑っている事に、本人は気付いているだろうか。
「…悟浄って、良いお父さんになれそうですね」
「はぁ?何言ってんのお前」
「なんとなく。何だかんだ言って休日に起きだして、ウキウキ子供と遊んでるお父さん、みたいな感じですかね」
「わかんねー」
食器洗いと同時に、シンクも磨きあげる。
元が元なだけに、ぴかぴかとは言い難いが、そこそこ綺麗になったそこは、満足するに足る出来栄えだ。
後は、洗濯機の洗濯物を干して、観葉植物に水をやって…。
これからの事をシュミレーションしていると、ふと、シンクの銀色に映る自分を見つけた。
消してピカピカではない、鏡のように綺麗には映らない。
おぼろげな輪郭だけがぼんやりと映し出された自分の姿に、八戒は急に寂しくなった。
失うのは一瞬なのに、思い出に変わるまでには随分とかかった。
否、今でもそれは現在進行形な部分はある。
けれど、思い出になってしまった部分も、確かにあった。
昔もこんな風に、食器を片づけ、洗濯物をし、料理をし、共に買い物に行った人がいた。
当たり前を享受し、消えていかないのだと胡坐をかいていた、自分。
そこに漂う、不確かで甘い「当たり前」だった日常。
ただひたすらに「幸福」だと信じていた、その優しい日々は、思ったよりも早く思い出になった。
こんな風にふんわりと、そうだ、例えば今日の卵焼きみたいに、ふわふわと漂う心地よい感覚に浮遊している時に思い出される、こんな思い出の方が、今は辛いかもしれない。
戻れない寂しさと、失った悲しみと、自分だけが幸せで申し訳ないような気持ちとが、背筋を優しく撫であげるように這っていく。
誰かがいない寂しさが、緩やかに首筋を伝い、耳の後ろを通って、涙腺まで到達しそうなその時。
「なぁに、辛気臭ぇ顔してんだよ」
右肩に不意にかかった他人の体重に、ぴくりと肩を揺らす。
煙草の匂いがふわりと鼻に届いた。
あぁもう、本当に、距離の近い人だなぁと、八戒は笑う。
土足でズカズカ上がり込む様な真似はしない癖に、あらがえないくらい近い距離で、現実に優しく引き戻すのが、悟浄はとてもうまい。
「…洗濯物、一緒に干してくれます?」
「あー?!そこまで手伝わせんのかよ?!」
ニコリと笑って見上げた八戒に、下唇を出しながら洗面所に消えていく悟浄の背中を見つめて、八戒の笑みは更に濃くなった。
ほら、やっぱり、こんな人なのだ、この男は。
「あ、そういえば」
「なんです?」
洗濯かごを抱えた悟浄が、足で玄関の扉を開けながら振り返った。
朝日でキラキラと光ったその髪。
「花、咲いてんぞ」
「え?」
「昨日だったか?夜中から咲いてたぜ」
目線の先には、プランターいっぱいに咲いたシオンの花。
「夏の終わりに咲く花か。強いな、これ」
洗濯物を干し終わると、悟浄は玄関先に置いたシオンの花を、指でつついた。
隣に同じようにしゃがみこんだ八戒は、太陽の日を受けて凛と咲き誇るその花を、複雑な心境で眺めていた。
肩が触れるほどに近い距離で、二人はのんびりと花を眺めている。
「元は野草の花みたいで、こうやって自家栽培するのは珍しいみたいですけどね」
「へー」
「野生の物は絶滅危惧種なんですって」
「そんなやっかいなもん、良く咲かせたな」
「まぁ、もともと強い花なんで。花言葉は…」
―あなたを忘れない―
「そう思って、植えたんですけどねぇ…」
少し俯き気味に見やるシオンの花は、空に向かって伸びあがっている。
「最近はもう、細かい事は思い出せない事もあります。忘れるもんなんですねぇ…やっぱり」
「いーんじゃねぇの、別に」
悟浄の指は、相変わらずその花弁をつついている。
こんなに突いても散らないのだから、やっぱり強い花なのだろう。
「忘れたくても忘れらんねぇもんもあるし。忘れたくなくても忘れちまうもんもあるし。人間の記憶なんて曖昧だろ。俺、一昨日のおねぇちゃんがどんなだったかとかも、時々酔っぱらいすぎててわかんねぇ時あるし」
「それは、結構最低ですよ?」
「わぁってるよ!…でもま、そんなもんだろ、生きてんだから。それに」
右肩に、悟浄の頭がこつりと乗る。
赤い髪がキラキラと、太陽の光を受けて輝いている。
先ほどよりもずっと近い距離に、煙草の匂い。
「美人のそーゆう顔は、卑怯だぜ?」
「…口説きたくなりました?」
「んー、まだ、かな」
「なんです?まだって」
「未来は、わかんねぇってこと」
くつくつと喉で笑った悟浄がつついた花が、ユラユラとその花弁を揺らした。
あぁ、此処は幸せだ。
苦しい位の想いを抱えて生きているのに、人はこんなに単純な事で「幸せ」だと感じてしまう。
自分には「未来」がある。
どんなに脆い希望だとしても、今この手にあるものは、「未来」だ。
変わらない日常に紛れて、日々変化してゆく、限りない「未来」
シオンの花は、空高く高く伸びる。
いつか君にも届くように、もっと高く伸びると良い。
天国でこの花が君にも見えているなら、良いな。
もし見えなかったとしても、僕がそっちに言ったら、きっと僕の目から見せてあげる。
君の見れなかった世界を、僕は全部見て、全部君に教えてあげる。
僕が、君の次に出会ったこの人の事も、1から10まで聞かせてあげる。
この人はきっと、君の事も丸ごと受け入れてくれる、そんな気がするんだ。
だって、この指先は、君と同じように、優しくて強い。
「咲いたよ、花喃」
君と咲かせたかった、花が。
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